動物園から心が離れていく魔法の言葉

経営層や管理部門関係から「ジョッチョにはミクロなことよりマクロなことをやってほしい」的なことを言われます。

※ミクロは「小さい・細かい」という意味、マクロは「大きい・巨大」という意味。経済・経営の分野でも使われる表現。


卵が先か鶏が先かの問題になりますが、マクロが目も当てられない散々な状態になっているのでミクロの対応に追われているだけであって、もう少しマクロがマシであれば、いくらでも手の打ちようがあります。

 

毎回テイよく返答しておりますが、実はそのセリフを言われる度に、少しずつ確実に動物園から心が離れています。

 


まだジョッチョの檻が檻になる前の柵程度だったころ、動物園のルールやインフラは未構築な状態でした。

 

しかし、ジョッチョなりにマクロな目線を持ちながらミクロの構築を行い、ある程度の柔軟性と推進力をもってお仕事にあたれている集団だった自信はあります。

 

 

それから数年が経ち、動物の数や種類が増え、様々な檻が出来上がってきたあたりから動物園内に歪や溝が増えてきたと思います。

 

動物園内で必要な業務が整理しきれていない状態で檻が乱立し、明確に割り振りすることのできない業務が宙に浮いてしまい、動物園単位での仕事としては精度と練度が低い極めて致命的な状態に陥っています。

 

致命的とわかっていながら対処できなかったのが更に致命的ですね。

 


かつ、そんな状態でありながら「全檻を公平に判断するため」と、各檻に数字的な目標を課そうとしているのですから、より檻の業務や方針が堅牢となり、檻ごとの連携や一貫した業務などは程遠くなっていく一方です。

 

しまいには、そんな目標設定を各檻で走らせたまま「ジョッチョの檻を業務の主体にしたい」という矛盾した発言が飛び出すのですから、実務もマネジメントもやりようがありません。

 

弊動物園の場合、各檻の専門的な技能が合わさりはじめて1つの素敵なサービスになっているので、なにかを主体にすること自体がそもそも間違っているのです。

 


この気持ち、今の経営層や管理部門には伝わらないのですかね。

 

伝わらなさそうですので、明日は動物園を休みます。